土地本位資本主義経済という考え方
ネットで拝見した言葉です。さくら事務所の長嶋修氏が、提唱されていると言うことです。
戦後日本の土地政策とそのつけとしての住宅事情の貧困さを、鋭く分析していると思いました。
まずは、彼の「土地本位制資本主義経済」とは、どういう意味なのでしょうか?
★以下、引用。原文は、こちらから。
土地本位制資本主義経済
--------------------------------------------------------------------------------
戦後の高度経済成長には、大きな特徴があります。
企業は土地を担保にお金を借りる。そのお金で事業を興し、利益が出たらそのお金でまた土地を買う。その買った土地を担保にお金を借りて、さらに事業を起こしたり、拡大させる。このように企業の事業運営の中にはがっちりと土地が組み込まれていたのです。
土地の信用が膨張していくことで、日本の経済はその規模を発展させてきたといえるでしょう。GDPの伸びと同様、地価もどんどん上昇していきました。この仕組みを私は「土地本位制資本主義経済」とよんでいます。
彼は、その付けが、以下のようなものだといいます。別の記事を引用します。原文は、こちらから。
日本では毎年20兆円の住宅投資が行われているが、国富として蓄積されているのはこの10年の間、250兆円程度とまったく増加していない。いくら住宅投資を行ったところで、造ったそばから価値がどんどん下落していくからだ。そういった意味で国や政治の責任は非常に重かった。
とはいえ、例えば政治家はあくまで国民によって選ばれるもの。政治家の姿も、国の姿勢も、国民のリテラシーを正確に反映しているともいえる。わたしたちの住まいや街並みの豊かさの現状は、わたしたち国民が選択した結果なのだ。
最近になってやっと自民党が『200年住宅の実現を』と言いだした。また国も、住生活基本法をはじめとする法整備に動き出している。わたしたち、国民一人ひとりも、なんとなく日本の住まいや街並みのありようには疑問を持ち始めている。
20年や25年で価値がゼロになってしまう住宅を、なぜ多額の住宅ローンを組み、35年もの超長期にわたって支払いを続けなければならないのか。生活費を切り詰めてせっせと住宅ローンを払い終えたあとに残るのは、建物の価値は既にゼロで土地値だけになった住まい。子供が独立した、退職して郊外あるいは都心に住み替えたいなど、ライフスタイルやライフサイクルの変化に応じて住み替えるためには、また住宅ローンを組まなければならない。これではただ、日本の資本主義経済システムに組み込まれるだけ、自由を奪われるだけで、価値がなくなるものをただ買わされているだけなのではないだろうか、と。
国にも言い分はある。戦後からこれまでの文脈をみれば、ある時点までは国が取った政策は大正解だった。国策が、戦後日本の高度経済成長の奇跡を招来したと言っていいだろう。土地という決して外に持ちだすことができないものに、価値、つまりは信用創造機能を持たせ、経済の中に土地を組み込んだ仕組みを作ったのだ。
『土地本位制資本主義経済』とでも呼べるこの仕組みは、当時の官僚が考えた、それは画期的なシステムで、この仕組みなしには日本経済の今日に至る繁栄はあり得なかった。その功績をまったく言わずにただ非難されるのはたまったものじゃない ―― と。
★★
氏は、こうした問題に、声を上げてこなかった国民も悪い、といいますが、確かに、この戦後体制(なんか言葉が古いですね、ちょっと不正確でもあります)は、ある意味では、「国民=消費者」の支持は受けていなかったかもしれませんが、「国民=産業関係者/労働者」にとっては、成長のために、支持できる方向性だったのではないかと思います。
日本では、一時、建設関係者と言うのは、人口の20%にも達していた時期があります。現在は、10%くらいだそうですが。
日本と言うのは、消費者はあまり強くないですが、労働者の権利は守られています。国民は、こうした建設業界に勤める労働者として、「その利益を、守られていた」のではないでしょうか?
20年で住宅が無価値になれば、銀行と協力し、新築需要を人工的に誘発できるのですから、、、
*********