米国大学進学論争2015年版! 鶏口牛後か? 井の中の蛙か?
対米不動産投資家の中山道子です。
このブログは、米国居住の方や行き来される方も多くごらんいただいています。お子さんを米国の大学に進学させようとされている方に、ご参考になればと思い、自分の個人的な関心から、昨日今日読んでいた米国の最新教育論の動向の一端をご紹介しようと思います。
それは、ずばり、「有名校の価値」。アイビーリーグの位置づけです。
発端は、最近気がついたニューヨークタイムズ紙上のベストセラー。
「あなたがどこの大学に行くかは、あなたがどんな人になるかとは関係ない」といういささかベタなタイトル。著者の真意は、副題にあるとおり、「大学進学熱が過熱しすぎているが、少し、落ち着いて」と呼びかけるもの。
彼は、インタビューで、「自分の周囲の友人や親戚の子供など、一家そろって、”アイビーにいけないと、お先真っ暗だ”的な人生を送っているが、職業人生において出会う人は、いろいろな出自で、別に、アイビーでないと頭角をあわらせないということはないと思った。そこのところを、自分の周囲にいる教育熱心すぎる人たちに、言いたくて」と語っています。
さすが、ニューヨークタイムズのオプエド(Opposite the editorial 記者。新聞の論説、エディトリアルと違い、独自見解を発信する)記者ともなると、親戚縁者友人と、周囲は、そんな人ばかりなのでしょう。
インタビュー例
ケイティー・クーリックと
彼の本を私は読んでいませんが、インタビューやレビューなどを見ると、有名校出身でないのに成功した個別の例をたくさん挙げるほかは、例示として、
《フォーチュン500企業のトップ100企業のトップの出身校のうち、アイビーリーグ出身者は、3割しかいない》
といった統計を示しているようです。
しかし、さらにいろいろ調べたところ、実は、
《アイビー卒業生というのは、全大学生のうちの0.4%しかない》
ということが、USニュースのある記事で指摘されていました。
20 Surprising Higher Education Facts
これらの二つの数字を足し合わせると、0.4%が30%に化けるわけですから、なんと、アイビーリーガーがトップに上り詰める確率は、「それ以外の人」と比べると、80倍近いことになります。
ここら辺は、どこか別のところで、6%という数字も見ましたので、進学したかとか、卒業したかとか、年次とかで違うのかもしれません。この0.4%という数字については、この記事以外では、細かくは調べていませんが、とりあえず、スーパー・マイノリティということです。
しばらく前に、日本でも、《アウトライヤーズ》(邦題『天才! 成功する人々の法則』)で有名になったマルコム・グラッドウエルが出した新作《デイビッドとゴライアス》(邦題『逆転! 強敵や逆境に勝てる秘密』)も、
<牛後となるより、鶏口となれ。あえて狭い土俵を選び、その中での奇襲戦で天下を取れ!>
という「弱いもの応援歌」。
グラッドウエル自身は、履歴を見ると、もともと、カナダ出身(家系はカリブ諸島出身黒人)。優秀だったが、大学院に進学するほどの成績ではなく、広告業界に身を投じたそうですから、まさに、自らがゲリラ戦で天下を取った人ですね。
新刊は読んでいませんが、「天才!」のほうは、私は何度も繰り返し読んでいます。翻訳がよくないというレビューも見ましたので、可能なら、ぜひ、英語”OUTLIERS”をどうぞ。天才ではなく、原文では、「統計上の外れ値」、統計上、他の数字から遠く離れた値のことです。
さて、この記事の本題に戻ると、しかし、数字だけを見ると、ある若手研究者は、「米国のエリート層と呼ばれる人を綿密に調べると、明らかに、統計的に、エリート校は優位だ」という論文をいくつも発表しているそうです。
Frank Bruni is wrong about Ivy League schools
この研究者の調査によると、実に、
<ジョナサン・ワイ氏研究概要はここから>
前提: SATテストで、1500点満点中1400点取れないと普通入れないレベルの学校を、「エリート校」とし、これらの学校をリストアップ。この「エリート校」は、アイビーとは限らない。例えば、HARVEY MUDDなどのリベラルアーツカレッジなども入る他、大学院の場合は個別に学部単位で調べるので、例えば、学部レベルではギリギリで該当しない州立のミシガン大学も、ロースクールは入っている)。想定では、これらのランキングに合格する学生は、知力において、全米比トップ1%と想定されている。
結論: フォーチュン500企業全部を見ると、トップにおける「エリート校」の比率は、38%、さらに対象を広げ、米国社会でエリートと想定されている層を精査。「フォーブス誌に掲載されたランクのビリオネアのリスト上においては、34%」「同誌Powerful Menのリスト上は、71%」、「同誌Powerful Women中58%がエリート校出身者」、「ダボス会議出席者中では、55%」を占める。
結論として、「SATなどのテストに基づくトップ1%がこれらのリストに反映される可能性は、50倍、60倍といった確率」。その中でも、ハーバードの占める役割は、巨大とのこと。
<ワイ氏研究紹介終わり>--
私の若い頃、東京大学文科一類に進学したばかりの時期に、サークル自己紹介で、「将来なりたいものは、日本の首相です」という人に出会い、「さすが東大法学部、変なやつがいる、、、」と大いに引いたことがありますが(笑)、確かに歴代首相の出身校ナンバーワンは、東大法学部。
当時精神的に未成熟だった私には及びもつかないような高度な戦略的な思考が取れる野心的な彼(?)が、今、どうしているのか、実はまったくわからないのですが、米国でも、それ以上に、「上院議員になるなら」「ダボス会議に名前を連ねたいなら」「アイビーでないと始まらない」ともなりそうです。(ただし、ハーバードに入れれば、世界規模の有名人になれるかというと、そんな単純なものではないだろうと思いますが。)
しかし、ここで、課題を、少し、庶民レベルに落とし込んで、「所得とエリート校の相関」にまで視野を広げると、実は、「アイビーリーグに進学することで、所得アップするという根拠はない」という有力なリサーチが、存在します。
なので、実は、フォーブスの紙面を飾れなくても、そこそこの所得が得られるようになれば、金銭や社会的名誉といった限られた面にては、自分の人生は、成功だと考えられる人にとっては、「超エリート校進学」は、それほどの重みは持たせなくてよさそうです。
ただ、このプロセスでわかったのは、逆に、現在、有名校への進学のありなしより、SATのスコア自体のほうが、所得との相関関係がずっと高いということが、こうした「アンチエリート研究」によっても、明らかになっていること。
<引用>
In the study, the better predictor of earnings was the average SAT scores of the most selective school a teenager applied to and not the typical scores of the institution the student attended. "The Ivy League Earnings Myth'より
ここ、実は少し不思議で、確認が必要なところなのですが、「実際に行った学校のランクにふさわしい所得ではなく、進学時に、志願した中で、もっともランクが高い大学のランクにふさわしい所得」への相関が、一番高いというのです。
複雑! つまり、AさんがSATスコアで、1400を取り、1400点が必要とされるH大学と、滑り止めに、1300でも入れるとされるQ大学に志願書を送り、1400点が必要とされるエリート校H大学からは、不合格通知が来て、1300点しか必要がない滑り止めのQ大学に進学した場合でも、Aさんの将来の所得は、A大学進学者にふさわしいランクとの相関のほうが、Q大学の所得ランクとの相関より、高いというのです。
どうしてそうなのかとか、それでは、1000しか点数を取得できなかったBさんが、エリート向けの大学にも志願書を提出し、結局、何ランクも落ちる大学に行ったら、それでも、大いに稼げるようになるのかどうなのかといった仮定の疑問には、十分な回答があるかはよくわからないようです。ここの点については、この記事では、注だけにします。
さて、米国流の「学力テスト至上主義」の行き過ぎについては、昔から、白人優位、男子学生優位といった批判がされてきました。また、昨今では、「創造性を殺す」と、日本張りの主張もされています。
どちらにせよ、こうしたテストが、大学進学、社会的成功の確率を評価する指標として重要だと思われているということは、米国において、あるレベルでは、実力主義が、社会のあり方を規定している、と評価できるのかもしれません。
創造力か、基礎学力か。有名校進学受験戦争か、ゆとり教育か。
たかだか18歳のときに受けたテストで(早い人は、15とかから受け始めます)、自分の生涯所得水準や労働生産性を統計的に推論されるなんて、恐ろしすぎる社会なのではないかと、「過剰な知的実力主義?」には、ため息も出ますね。
ただし、所得額と最終的な資産形成には直接的な相関関係がないということは、毎回ですが、ここでも、指摘するに値するでしょう。所得が低くても、こつこつと資産を形成し、ビリオネアは無理でも、ミリオネアの地位を達成する人は、数多いと指摘されています。
私自身は、共通一次世代で、文科一類は、足切り点は、そんなに高くなかったので、1,000点満点の時代に、足切り点ギリギリの700点台後半で、確実に、トップ1%なんかじゃなかったと思うのですが、二次試験の比率が高かった東大法学部には感謝するべきだなと今になって思い至りました。同じ東大でも、経済学部狙いだったら、足切り点はもっと高かったので、合格しなかっただろうと思います。
しかし、東大ではまったくなじめず、今も誰も友人がいません。何をしに行ったのか、役に立ったのか。学費が安かったことは確かで、いろいろ感謝はしており、文句をいったら罰が当たるでしょうが、実際には、東大関係者には、ずっと「変わった人」といわれ続け、せっかくの名門校も、自分的な居心地は悪かったので、同窓の輪がある人を見ると、本当にうらやましいですし、自分に合う進路は別にあったのかもと考えることもあります。
こんな私自身が子供に伝えることがあるとしたら、やはり、「食っていく道は、王道ひとつだけではない」といった程度でしょうか。有名校にギリギリ引っかからせていただいたのに、完全なコース脱落組なわけで《まあ体よく言えば、アーリーリタイヤでもあるわけですが》、断然、<グラッドウエル派>なのかと思います。
どの時代にもある議論。絶対的な回答はないしで、みんな、悩みは同じですね。
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