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「グローバル教育」に思う 

中国在住の対米不動産投資家の中山道子です。

この前、夏の間、私が米国で仕事をするにあたり、子供には、キャンプに入ってもらったというお話をメルマガでしたところ、「グローバル教育ネタは、大好きなんで、ぜひ、そっちのほうも、もっと」というメルマガ購読者様がおいででした。

そう、最近、メルマガは、「子育て世代」に、その観点からも、関心を持っていただいているようです、、、笑

ただ、実は、私、そのメールを頂戴したとき、違和感がありました。「グローバル」というと、毎回、違和感があります。日本では、今、グローバル人材教育への舵取りをしようとしていると聞きましたが、その違和感が、どういう理由によるものか、考えてみました。

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《写真は、子供の行っていたキャンプの一風景から。乗馬クラブで、敷地内に大きな池があるので、毎日のように、泳いでいました。このキャンプは、「レジデントキャンプ(resident camp)、つまり、最大8週間、子供を預かるので、国際的な家族もいて、アブダビに住んでいるお子さんとか、ロシアから毎年来ている家族とか、我が家もそうですが、ある意味、米国中産階級における国際化の縮図みたいなところがありました。米国の学童向けサマーキャンプは、どこでも、たくさんやっているので、ネットで簡単に見つかります。》

私自身、語学教育には熱心なので、イマドキの一部識者のように、「外国語教育よりまず日本語!」などというつもりはありません。《というか、語学教育の専門家ではないので、自宅でやっていることはありますが、一般的に見たその有効性などについては、よくわかりません》

ですが、グローバル教育という言葉には、違和感があるのです。

その理由に、今朝、気づきました。というか、多くの方が、指摘してきていることかなとは思うのですが、、、

それは、グローバル教育というのは、「目標設定として、広すぎすぎ」なんですね。


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例えば、皆さんが、「日本語学習中の留学生」に、「日本文化に触れたいです」といわれ、ホストファミリーとして、何か手伝ってあげないといけないとします。

最初に口に出るのは、こんな返事にならざるを得ないのではないでしょうか?


「うーん、日本文化といっても、茶道も日本舞踊も書道もあるし、
古文漢文、はたまた、いけばな剣道に俳句と、何をやりたいん
でしょうか?」


留学生によっては、現代アニメや日本のファッションを極めたいという意味で、”日本文化への理解を深めよう”と思っている人すらいるかもしれません。

このように、一度、「ニーズを、より丁寧にヒアリング」しないと、「何をしたらいいか」が、出てこないわけです。世間話で、「アイ・ライク・ジャパニーズ・カルチャー」というレベルの話なら、寿司が好き、歌舞伎が好き程度で、意味が通じますが、具体的な方針に落とし込むためには、そういう通り一遍な話では、意味がないわけですね。

同じように、グローバル教育も、「具体的には、どんなイメージ?」ということを、考えないといけないわけです。

それが、もし、「どこでも通用する」という意味でしたら、「何年かければいいの?」という話になりかけません。

圧倒的多数の人は、観光以外では、「どこにでも行く」必要はないか、会社の組織ぐるみサポートを得ながら駐在すればいいわけですから、「そんなサバイバル・レベル」は、必要ないと思うのです。

くどいですが、具体的な例を出すと、子供に対し、日本やアジアだけではなく、「ジンバブエで食っていく技」まで教えるスキルは、こちらにもないし、第一、必然性が低いわけです。《ジンバブエに行くなといっているのではありません。行きたい方、行っている人にはがんばってほしいです。》

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私の経験では、語学学習についても、語学というのは、必ず、カルチャーが伴うので、その学ぶコンテクストも、考えないといけません。また、人間なので、精神の安定も大切ですし、さらには、ビザがあるかどうかを、計算に入れる必要があります。

例えば、最近、人気のケースで、「マレー○アのイ☆リス系インターにいかせ、そこから、イ☆リスの大学に進学させる」という例を、検討してみましょう。そういう方を個人批判しているわけではないので、検索に引っかからないように、ぼかします(笑)。

多くの人は、このようなご予算は、なかなかないわけですが、私なら、「予算がない方が、そういうことができないからと思って、残念に思うことはないんじゃないですか?」とアドバイスします。これは、ちょっともったいない教育費の使い方だなと思うからです。

私の周囲でも、インターから欧米の有名大学に行って、そこから、グローバル企業に就職し、国際的に、エクスパット(EXPATRIATE、国際就業族)として活躍し続ける、、、方は、いますが、数は、少ないです。確率の低い賭けみたいなもので、運がいい例、優秀なお子さんの実例はありますが、皆が目指すことに意味があるのか、そんなレベルの実現率ではないでしょうか。

上のステップを、具体的に、TO DO LISTに、落とし込んでみてください。

欧米系だろうと、どこだろうと、外国の大学に、進学した場合、卒業時に、その国で就業するためには、ビザが必要になります。ここで、親御さんが、教育費に加えて、大学に進学した国(この例でいうとイ☆リス)のビザをお子さんのためにとってあげられない場合、多くの場合、学部卒のお子さんは、イ☆リス就業を望んでも、日本で就職するしかないわけです。(もちろん、理科系の博士号が取れるランクであれば、それをした後、イ☆リスの大学で教えたり、場合によっては、修士号だけで、イ☆リスの企業で就職できると思います。)

つまり、マレー○アのイ☆リス系インターに入れてしまうと、ほうっておくと、周囲のお子さんを見て、お子さんも、イ☆リスの大学を目指すようになります。その段階で、日本の大学の帰国子女入試などの制度などを上手に使うなどして、大学は、日本にしてあげると、日本に馴染む時間的余裕ができますが、この段階で、つい、引き続き、海外進学を許してしまうと、日本人の場合は、

1)親が、大学卒業後のビザの手当てをする
2)子供が、ITや、工学など、国際的に就業しやすい分野で、ずば抜けた才能を見せている

といった「異常にピンポイントな背景」がない限りは、「イ☆リスの大学を出たあと、パスポート国である日本で就職活動をする」ことに、なる確率が、高いわけです。

そして、それにかかる費用は、実に、2014年時点で、

400万×12年(小学1年から高校卒業まで)+500万×4年(大学4年間)=6,800万

といった額になります。

第一に、7,000万あれば、正直、私なら、もっと、使い道があります。日本で就職をさせるだけなら、その何分の一の学費を使って、英語塾に行かせながら、日本のいい大学を卒業させるように、がんばらせればいいんじゃないかという気がします。

一般ピープルの皆さんも、そう思われませんか?《資産のある方、オーナー経営者様は、こんな私の平民思想は無視してくださいね!この投稿は、普通のサラリーマン向けのものですm_m》《イ☆リスの場合、100万ポンドを積めば、結構無条件に、投資家ビザが取れるそうですので、7,000万円に加えて、1億7,000万円くらい使えば、お子さんの滞在は問題ありません♪》

また、第二に、こういうことをすると、お子さんが、幸せになるとは限らないのです。

子供が、《100万人に1人》のジー二アス、逸材ではなく、多少優秀でも、普通人の範囲である場合について、リスクマネージメントの観点から、「悲観的なシナリオ」を考えて見ましょう。

マレー○アのインターに入った段階で、まず、カルチャーショックがあり、親はやきもきします。次に、イ☆リスの大学に進学した段階で、更なるギャップがあります。マレー○アとイ☆リスは、まったく違うからで、「毎夏イ☆リスに帰省していたイ☆リス人の同級生」には、家族のサポートがあるので、そこまで、問題はないことも多いのですが(しかし後述のように、心理的に、問題が生じることはある)、こちらには、そのようなリソースがないので、本当に、一から、別の外国に行った状態なのです。

最後に、ようやく慣れて、イ☆リスの大学を卒業するとなると、周囲の友人同様、イ☆リスに就職したいと思っても、ビザがないので、学部卒のスキルレベルでは、就職できず、大いに失望します。マレー○アやシンガポール、香港に就職したくても、同様です。そこで、しぶしぶ、日本に帰ってきて、就職するとします。そうすると、第一に、日本の大学を卒業した同級生に比べて、よりよい仕事が見つかるかというと、それも疑わしいですし(家業がある場合は別)、しかも、日本語は、周囲より下手で、日本には、支えてくれる友達、仲間もいないとなると、さらに大きなカルチャーショックを受け、下手をすると、適合できなくなるかもしれないのです。

インターに行くと、「いろいろな世界各国の友人と友達になれる」、つまり、そうした人たちと、互角に渡り合えるようになるということがいわれますが、諸刃の刃で、実は、一番問題なのは、人間というのは、「同様の背景の人間と一番親しくなりやすい」のです。

なので、気をつけないと、インターで、国際教育をしてしまう子供の場合、シンガポールで、インターに行こうが、香港で、インターに行こうが、似た背景の人間というのは、《親がエクスパットで、自分もインター育ち》の人間のことを指すようになります。

そうすると、そういう子供がどうなるかというと、「インター」や、「エクスパット・カルチャー」の中にだけ、自分の立ち居地があるかのように感じ始め、シンガポールに住んでも、普通のシンガポール人とは、友達になりませんし、香港にいくらいても、地元に根付いた香港人とは、意気投合しません。

どうして、そうなるかというと、インターというのは、通常、地元の人間向けの教育機関ではないからです。中国の場合なんかは特に極端で、中国のパスポートしかない場合は、お金があっても、インターに通学することは、おおっぴらには、許されていません。しかも、こういうお子さんは、日本本土で育った子供とも、ぎくしゃくすることがあるわけです。英語は、できるかもしれません。日本語も、支障がないかもしれません。学業も、優秀な成績をとったかもしれない。しかし、これで、本当に、「どこでもやっていけるようになった」のでしょうか?

じゃあ、こういうお子さんが、どういう人となら、仲良くなるかというと、「インターで一緒だった日本人やアジアの周辺国の人」ならいいですが(でも数が少なく、ばらけているので、通常は、同窓というほどのコネにはならない)、例えば、「アフリカ人で、ケニアのインターに行ってから、パリの大学に行って、今は、ヨーロッパで働いている人」とか、親の目から見ると、何の係累もないような(ぶっちゃけ、こちらにとっては、何のコネにもなりそうにない)人とばかり、「インターつながり」で、コネクトしだしたりもします。それ自体がいけないということは、なにもないのですが、同窓のネットワークという観点からすれば、日本人にとっては、都立高校に行かせた方が効率がいいかもしれないわけです。

それでは、こういう成長の仕方をすることで、例えば、国際企業を代表して、高給をとり、インド人や中国人と、練強く商談を繰り返し、ふてぶてしく、アジア市場で、自社商品の販売戦略を成功させたりするような精神力ができたりするのでしょうか?《なんとなく、親のほうは、こういうのを期待していませんか?》私の経験では、「そうとも限らないように見えます」です。

グローバル教育に、興味がある方は、こういう子供たちの成長振りと課題についてのこちらの本を読んで見てください。


「シンガポールのインターで育ったアメリカ人が、アメリカに馴染めず、大学卒業後、シンガポールに舞い戻るが、ビザなしでは、仕事も見つからず、落ち込む」
「同じ境遇のインターの出身者としか心が通じ合わない状況だが、そうした仲間は、それこそ世界に散らばっていて、なかなか、日々、会えない」
「母国に帰るたびに、居住国で慣れ親しんだ慣習と違うため、一挙手一投足が、嘲笑の対象に」

などなど、イタイとしかいいようがないエピソードが満載です。こういうお子さんなら、語学力に加えて、雑草のような強さを併せ持つようになるのかと思いきや、ガラスのようなハートブレークに悩むアダルト・チルドレンの数々。。。正直、親の海外赴任について世界を回ってきた私も、インター出身ではないですが、類似の痛みを抱えてきました。さすがに、もう年なんで、大丈夫ですが、10台、20台は、なかなか、人間関係を広げていく力がなく、やはり孤立していて、つらかったです。こういうライフスタイルには、負荷がかかる分、いつまでも、「エクスパット」的な、宙ぶらりんな立ち位置から卒業できず、年齢にふさわしい精神的成熟が伴わないケースが、よくあると、この本にも、指摘されているのです。

ちょっと意地悪ですが、こんな例はどうでしょうか。

自分の子供でない大学を出た人間が、日本にも、海外にも、アルバイト・インターンシップ経験や、コネ、実績がないために《海外で留学生として学ぶ場合、就労制限があり、地元の学生のように、コネ作りが思うようにできません》、どこでも、就職がなかなか決まらず、「自分はグローバルな教育を受けた人間なもので、普通の日本人には、どうも理解してもらえなくて」と発言したら、その若者自身には、正直、まったく悪気も落ち度もないと思うのですが、それにもかかわらず、周囲から見れば、”痛いやつ”です。

親が無理させたことがきっかけで、さらに、適用障害にでもなられたら、後悔しても、しきれません。

そこで、ここでの質問は、「親の海外赴任についていって、海外で教育を受けたというなら、それも、仕方ないが、そういう必然性がないのに、無理に、こういう特殊な環境で、下手をすると、ひ弱な人間に育てることに、意味があるか?」です。

私なら、上の例で言うと、「親自身が、イ☆リス移民する気でやっているのでない限りは、NOではないでしょうか?」と答えます。また、もし、親が、イ☆リス移民するという話なら、早々に移民してしまい、マレー○アになんか行かず、普通にイ☆リスの公立学校に行かせれば、そのほうが安いのじゃないですか」という感じです。

その場合なら、子供は、「これからは、この社会でやっていかないといけないのだ」という覚悟ができ、また、その社会のサポートが、TAXPAYER、市民として、受けられるので、アルバイト経験も蓄積できるし、空中をふわふわしている「エクスパットの子弟」とは、まったく違う気合が入るのです。

最後に、一番気をつけなければいけないのは、「親が無理をする」ことで、子ども自身の期待値を上げすぎることの弊害ではないでしょうか。

普通の人間は、「自分が子供時代に受けた教育」より、「自分の子供の教育」には、ずっと力が入るものです。誰も、わが子を、自分の水準より下におきたいとは思わないのです。しかし、その際に、次世代が、


自分も、インター、海外の大学に行かせてもらって、
すごく、楽しかったわあ。子供(=孫)には、当然、
それ以上を


などと思っても、それが実現するとは、限りません。

後2、30年すれば、普通の私立のみならず、アジアのインター、欧米の有名大学の学費は、今の二倍になるでしょう。

すでに、上海には、年間学費3,000万円のインターができて、300人が、殺到したそうですが(年間学費300万ではなく、三千万です。TYPOではありませんよ!)(Shanghai's most expensive international school opens its doors)、子供世代が、孫世代に、自分以上の教育を受けさせようとしても、実現しないかもしれません。そうなったとき、祖父母は、孫の「グローバル教育」の費用も、出してやることになるのでしょうか?

下手に名門に入ってしまったところ、同級生が大変、成功しており、その子供たちは、さらにランクアップしている。それに対し、自分だけが、KEEP UPできない、などと感じ始め、挫折に悩む、これも、実際、よく見聞きする話です。もうひとつ、子供が、お金のかかった理想的な環境で、品よく育ちすぎた結果、非営利のほうにしか関心が向かなくなったり、一般社会での競争に耐えられなくなり、高学歴なのに、主婦になってしまうというパターンも、よく見ますが、(他の方は知りませんが)私自身は、前者のみならず、後者も、避けたいパターン。正直、それくらいなら、分不相応な教育費を負担するより、自分の老後のために、蓄財することを、優先したいです。


+++++++++


日本企業で、海外赴任されている方々は、お子さんが学齢期の場合、多く、妻子帯同されないで、単身赴任されています。まさに、「子供の日本での立ち位置」がなくなる可能性、「教育に統一性が失われる」可能性を心配して、このようにされているのですね。また、海外にいるのに、日本人学校に行かせるご家庭も多いです。将来、日本に帰るしかない日本人の子が、海外で育った結果、他の日本人と仲良くできなくなったら、本人のためにならないからです。

  □□□

こっちに来たばかりの時、インター教育の長いアメリカ人の校長先生には、「どこの大学に行かせたいかから逆算して、小中高の教育プランを構築していく必要がある」ということを、教えてもらいました。

教師という立場からすると、何を教えるかは、何が大学受験で求められているかによって、異なるということなわけですね。なるほどでした。ここで、親として、さらにいうなら、学校の先生とは違い、こっちは、大学に入っただけでは、責任は、果たせません。子供の将来を考える場合は、「どんな大学に行かせたいか」ではなく、「大卒時に、どういうキャリアをスタートさせたいか」から逆算する必要があるのではないかと感じます。

細かい職業選択、例えば、学校の先生になりたいか、または、商社マンになるか、はたまた、主婦・主夫になるか、30過ぎて、起業家になるかといったことは、もちろん、親には、コントロールできません。《ここも、家業がある場合は、別かもしれません》しかし、親なら、最低、どこの国で、どこの言語で、また、大学にいかせるかどうか、大学を出た時に、どの国で就職・居住させたいのか、大学院が視野に入るかどうか、程度の「10台または20台の学業フィニッシュライン」時の「社会人としてのスタートライン」のイメージは、目標として、持つことができるはず。

なので、「グローバルな教育」とは何なのか、「グローバルな教育」を与えないと、イマドキの親としては、失格ではないか、などと、考えず、「子供を就職させるのは、いつ、どこか」「それには、どこの大学がいいか(就職予定国に所在する大学がベスト)、「そのための予算やリソースは何が」「それは、無理せず出せる範囲か」に基づいて、教育プランを逆算されるので、十分なのではないでしょうか。一番ストレスがないのは、通常、”親が居住していて、コネや実家など、有形無形のサポートが、新卒学生に対して、提供できる国”です。

そうしたら、その目標にとって、必要だと思われる以外のことは、無理にやらないのが、語学教育を含め、一番、COST EFFECTIVEな教育プランの立て方だと思いますが、いかがでしょうか。

もちろん、そのプロセスの途中で、お子さんの希望も、出てくるでしょう。そのときに、現実的な範囲で、軌道修正やすり合わせをすれば、いいのです。《そして、親の力では、実現させてあげられない希望なら、正直に、そう言い渡すべきだと思います。どう考えても、挫折と苦労は経験させたほうが、子供のためになると感じます。》


なんか、米国のサマーキャンプの話から、どんどん、話が膨らみましたが、再度、結論を述べると、我が家の場合は、グローバル教育をしているというつもりはまったくなく、むしろ、ピンポイントにローカルにやっています。日本では、地元は東京。中国なら、チンタオの友人関係で手一杯で、北京や上海になんか、まったく興味はありません。米国では、HOMEは、ミシガンのメトロ・デトロイトで、ノースダコタでバブルがあるとか、フロリダで安売りしているとか、これも、ぜんぜん、関心がありません。

どこでも、ホームベースで、長期にわたって、いかに信用を築くかだけが、目標なのです。

それでは、一般の方に、具体的にどういうことをお勧めするかというと、「グローバル化」の個人戦略として、例えば、以下の予算や余裕、計画があったとします。

幼稚園は、インターの幼稚園
小学生のときに、ハワイに3週間語学留学
中学生のときに、NZランド観光旅行
高校生のときに、オーストラリア交換留学生
大学生以降は、息切れして、観光旅行だけになる

こういう方は、いいところ取りしようとするのはやめ、行き先をひとつに決めるのです。

幼稚園英語なんかで金を使わない
小学校のときに、ハワイに3週間語学留学
中学生のときに、ハワイに3週間ホームステイ
高校生のときに、ハワイで1年交換留学生
大学生のときに、ハワイに1年留学
観光旅行なんかには、金は使わない

と、ハワイで統一します。オーストラリアのシドニーでも、シンガポールでも、セブ島でも、どこでも、最初にご縁ができたところで結構だと思います。

そうすると、現地の友人というものができてきて、また、「ここでは、どうやって振舞う」というLOCAL CODE(地元のルール)が身につきます。

毎年のように、あるいは、できる限り行き続ければ、そこが、第二の故郷になり、現地の友人も、「来るときは必ずうちに来い」といってくれるようになるでしょう。余裕がある方は、別荘を買ってもいいでしょうが、私なんかは、管理が面倒なんで別宅は買ってません。

子供のときに行きはじめ、結局大学留学したとしたら、その際に、そこに行けば、もし、そこで就職活動をしたいとしても、普通の留学生より、確率が上がります。最低でも、短期アルバイトくらいは、より容易に見つかるでしょうし、起業だって、周囲が助けてくれれば、不可能とはいえません。

グローバルといっても、人間関係の積み重ねというのは、こういうひとつひとつの礎のもとに作られるので、まず、自分の居住地における作法を身につけたら、次に、別のところで、可能な限り、自由に動き回るレベルまで到達してみるのです。

これをやることで、第三、第四DESTINATIONは、より容易に攻略しやすくなり、「東京とハワイしか知らない」とはいっても、大人になれば、仕事で、または観光、留学で、さらに、いくらでも、ニューヨークだろうと、北京だろうと、行くわけで、その際には、身の振舞い方を考えるときに、自動的に、「初めてハワイに行ったときは、戸惑ったよなあ。しかし、ああやってみることで、うまくいったよなあ。あきらめなくてよかったんだよな」といった「何年にもわたる努力の結果としての成功体験」に基づく”体が覚えている動き”が、本能的に出てくるようになります。

それに対し、毎回、欲張って、いろいろなところに行くと、

「ええと、NZランド英語の癖って、どうだったっけ?」と、英語の話し方自体からしてが、アクセントやボキャブラリーがごっちゃになったり、その半面で、心から親しい友人もどこにもできず、単に、クリスマスカードを交換するだけの仲の人が増えるだけ。上と比べると、同じレベルの親密さには、到達することができません。

しつこいですが、マレー○アのインターに行って、そこで何年もすごすとします。それでも、周囲はイ☆リス人だろうが、なんだろうが、みな、大学に進学したら、その後、「地元」には、帰ってきませんし、親たちも、ジョ☆ルバールくんだりに張り付いていても仕方ないわけで、世界各地に散らばります。つまり、それをやってしまうと、「いくらお金を投下しても、帰ってくる場所」に、一番肝心な、友人たち(人的ネットワーク)がなくなっているのです。

そもそも、「行くところ、帰るところがある」「自分には、大切に思ってくれる人がいる」。子供、人間というのは、こういう気持ちを持って成長することで、強くなるのであって、「どこに行ってもそれなり」、「知り合いは、いるけれど(世界中に?)、誰とも、本当に親しいとはいえないよ、、、」といった希薄な人間関係の作り方を、わざわざ大枚はたいて子供に学ばせても、仕方ありません。そんなのは、大人になって、いやでも誰もが学ぶことになる浮世の作法に過ぎません。私は、子供のときに、世界中を回らさせられ、こうした状況を経験してきましたが、第一に、これは、親の仕事で、仕方なかったのであり、第二に、この「ネガティブ・メンタル」を治すのに、大人になってから、ずいぶん、苦労しました。

そもそも、親の地元のインターならまだしも、通常、海外のインターというのは、「他にオプションがない国際転勤族が、仕方なくて子供を入れる場所」なのです。

実際にそうしたインターに、お子さんを入れておいでの方を非難しているのではないですが、必然性がないご家庭が、無理して、お子さんを入れることが、”投資資本に相応な見返りをもたらす”とは、私は、思いませんということですね。

《お金を燃やすくらい持っている方は、こんなせせこましいことを考えず、どんどんやってください。飛行機代を気にせず、海外の方とも、親しく頻繁に行き来されるのだとしたら、最高だろうと思います。それに対し、このブログは、”普通の方””堅実志向の方”向けのブログなんで、教育についてであろうとなんだろうと、メインテーマは、「お金の使い方の最大効率化の追求」なのです。》

なので、良かれと思って

「どうせなら、新しいところに行って、別のことを学ばせてみたいわ」
「海外のインターっていうのも、いいわねえ」

などと、あれもこれもと、そそられるかもしれませんが、結果から見ると、予算を組む場合は、「第二の故郷」を作るほうが、「グローバル教育」達成にとっては、ずっと効率がいいでしょう。また、予算が組めない場合は、無理されないでいいと思います。なんといっても、黙っていても、今後の世の中では、いやでも、「あなたの孫はインドか中国で生まれ」るんだそうですので。《CHIKIRINさんの日記から》

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