米国成人下半分の申告前所得は平均1万6,000ドル! 2016年12月6日発表されたトマ・ピケティ教授らの最新研究成果
対米不動産投資家の中山道子です。
私は職業柄、貧困問題や富の分散、形成に関わる統計や研究には、割合よく目を通しています。12月17日の今日は、しかし、ニューヨーク・タイムズの下の記事を見て、目を疑いました。
A Bigger Economic Pie, but a Smaller Slice for Half of the U.S.
それによると、米国では、全成人の下半分の「申告前の実質所得の平均」は、なんと、1980年以降、30数年間の間、実質、1万6,000ドルで停滞し続けているのだというのです。(1万6,000ドルというのは、2014年次の物価指数を前提とした数字)
もちろん、これは、米国世帯の半分が、1万6,000ドルで生活しているということではなく、例えば、このような平均的な所得を得ている人々が、夫婦で共働きしている場合は、世帯年収は、3万ドル以上になりえます。また、納税後の再配分により、ボトム5割の平均年収は、成人一人あたり、2万5,000ドルまでアップするそうです。
NYTに援用されているこの論文では、この間、全成人の平均年収は、6割ほど上がって6万4,000ドルという数字になっており、また、トップ1%の所得を得ている個人のほうを見ると、平均年収は、実に3倍になっているんだそうです。(80年に42万ドルだったのが、2015年には130万ドル)。
この結果、所得トップ1%というグループは、グループとして、ボトム50%が稼ぐ全所得の2倍近くの所得を得ているという状況だということ。
Distributional National Accounts: Methods and Estimates for the United States
この研究が画期的なのは、データが、連邦の統計局のもの(調査なので、全面的なデータでない)にとどまらず、納税データをすべて包括していることのようで、「全人口100%を対象とできた」という、統計処理上、革命的なレベルの精密なリサーチだと主張されています。
私は研究者ではないので、細かいことはわかりませんが、一般人のレベルから、理解できる範囲として、私にとって興味深かったポイントを更にご紹介します。それによると、
> 過去には、高額所得者というのは、「高給取り」というイメージが強く、事実1970年台から1990年台までは、そのとおりだったが、それ以降、所得アップは、株式や債券からの収入により実現しているのだそうです。
まさに、ピケティ教授の言及していたRENTIERS(金利などで生活をする資本家)層ですね。
2000年には、全人口の全所得額において、資本に由来する所得が占める比率は、23%だったのが、2014年には、これが、30%に増加。この反面で、労働由来の所得の伸び率は、この期間、横ばいに近い状態だったのだそうです。このほとんどがアッパー層に行くそうで、トップ1%の所得のうち、実に半分が、こうした資本由来所得であるのにたいし、ボトム90%の人口において、資本由来所得が全所得に占める比率は、20%に過ぎません。それでも、80年の10%から比べると、倍増しており、その理由は、確定拠出年金への転換による金融商品の普及。こうした恩恵(BENEFITS、仕事上の福利厚生)が多少でも受けられるのは、人口中央値より上にいるアッパーなサラリーマン層です。
つまり、この期間のアッパー層の所得増加は、ほぼ、資本(CAPITAL)由来であるということなんだそうです。ボトム5割の所得がほとんど伸びていないのは、この層が、こうした投資には全く手が出ないから。株式市場の活況の反面で、投資をしていない層は、全く経済の恩恵を受けようがない理由(労働由来所得は30年間以上停滞している反面、資本由来所得が大きく伸びた)が鮮明になりました。
このようなトレンドは、今、そうでなかったとしても、多分、今後、世界的なものとなっていくのでしょう。よほどの介入が入らない限りは、資本のロジックは、雪だるま式成長だというのが、ピケティ教授のテーゼでしたね。日本においても、アベノミクスの恩恵を受けたのは、株式投資をしているアッパー層だけであると指摘されていたようです。
この論文では、「下半分の人間にとっては、多少の補助があっても、この大きなトレンドにおいては、浮き上がることは難しい。政策提言としては、現状のような部分的な再配分だけでは、効果がないので、市場以前の問題として、例えば競争に入る前の教育などへの介入といった積極政策が追加されないと、格差の本格是正は期待できない」という厳しい結論になっています。
我々中流日本人にとっての意味としては、子供の教育の重要性や、投資が人生において演じる役割を再確認する事ができる研究成果だともと感じます。私たちの1,2世代前の日本人にとっては、年金や退職金といった「昭和型の諸制度」が、老後のパーソナルファイナンスにおいて演じる役割が、より大きかったのにたいし、私達以降の人間というのは、全く同じ環境の恩恵を受けられるわけではないのですよね。
このように、資本由来の所得のほうが労働由来の所得より得やすいと言われてしまうと、多くの人間にとっては、話がそれで終わってしまうのではないかと思われる方も出てくるかもしれませんが、ただ、私の顧客様を見るかぎり、依然、資産家の多くは、最初から資産を相続してそれを投資に回し、最初から最後まで安楽に暮らしているというより、今でも、労働由来所得により、まず、最初の投資資金を作っておいでのケースが一般的だと感じます。
若いときは、労働由来所得が、100%。ここから、本格的に所得を伸ばしていくには、投資由来所得をいかに増やしていくかなわけですね。
年間所得が130万ドルと言ったランクの特別な立場に立つ方法については、私は、言及する立場にないのですが、しかし、「最低限」レベルで「資本に回転してもらう方法」、ロバート・キヨサキ氏流にいうと、「ラットレース(コマネズミのように、宮仕えに働きづめの日々)から抜け出す」ギリギリの方法を習得するというレベルについていうなら、ある程度の勤勉と、節約生活により、「最初の資本」を形成し、それをきっかけとして、年月をかけて成長していくという方法は、案外、多くの人に開かれているのではないかとも感じます。
このご時世、給与所得500万を得るのは、容易ではありません。しかし、他方では、1億円の資本金にたいし、年率で5%(つまり500万円)の投資リターンを得るのは、割合簡単だと感じます。5,000万にたいし、10%に近いリターンを出していくのも、コンスタントには確かに難しい点はありますが、まあこれも、フルタイムの投資家を標榜する人間なら、それぞれの方法で、それなりのやりようはあるようにも感じます。
その意味では、たしかに、この論文のテーゼである「労働でお金を稼ぐより、資本の見返りで所得を取っていくほうが楽」というのは、過去にサラリーマン生活も、零細ビジネス経営も経験し、現在、フルタイム投資家である私にとっても、実感が湧く研究結果です。(中年女性である私を、フルコミならいざしらず、500万でフルタイムで雇ってくれる会社は、この段階では、ほとんど、ないでしょう苦笑)
もちろん、いきなり、5,000万、1億貯めるのは普通は無理ですが、こういう考え方を前提に、最初の100万、最初の1,000万、そこから3,000万へといったステップを上がっていくことで、案外、10年、15年といった時間を経ていくにつれ、風景が変わっていきます。
一般の方が、そういうところを目標とするそのためには、生活全般に、費用対効果、効率の観点を導入することも必要かもしれません。
周囲の「投資家型」の資産家の方々を拝見すると、「一般的な高額所得者型」のリッチマンの方々と比べると、一見したところは、割合、地味だったりするケースがよくあります。
私が若い時、こういうことに全く知見がなかった頃に知り合いになったある若手投資家は、株式投資で生活をされていましたが、彼にはそんな生活、簡単すぎたようで、日々、失業者?のような生活をしていました。
あまりにやることがないので、携帯電話だけを首からぶら下げ、日中は、公園でブラブラしているのです。
洋服なんかもヨレヨレのTシャツで、靴に至っては、スリッパみたいな上履きで、「これ、中国で、100円だったんだよ!」などと、自慢するのです。一緒に外出していて外食をしなければいけないときは、必ずおごってくれましたが、行くのはラーメン屋といった低予算の場所だけでした。
その時は、「お金があるのにケチくさい人だな」と思いましたが、今は、彼が、投資家型の資産家であることを考えると、その言動に、合点がいきます。このタイプの資産家というのは、すべてが「投資」。あらゆる行動に費用対効果と合理性、効率性を求めるので、投資にならない出費、必然性がない出費は、額に関わらず、性格上、したがらないのです。
私自身が、今となっては、日々の生活において「費用対効果」を追求するという点で、彼と大差ないメンタルになっていることにも気が付きます。私の場合、定住が苦手で、数年ごとに国ごと引っ越しするので、家どころか、家具なんかも、ほとんど買いたくないという考え。いい年をして、生活は、正直、「苦学生並の水準」からいっこうにアップしておらず、100円の靴を自慢していた彼を全く笑えません。
皆さんも、そろそろ、年末を迎え、新年に向けての抱負を考え始めておいでかもしれません。
「おいおいは、資本家側に立っていきたい」と考えられている方は、私の当時の友人まで行かなくていいとは思いますが(笑)、「頭一つ、浮き上がるためには、横並びの意識ではダメ」という視点を取り入れられていくことを、お勧めします。
この記事でご紹介した研究の成果は、社会情勢という観点から言うと、暗いニュースとしか言えませんが、この問題に立ち向かうのは、政治の役割。私達一人ひとりが政治参加していくのはもちろんとしても、別のレベルで、個人のサバイバル戦略という観点を取るならば、じゃあ、自分はどうしていくのか、こういう統計に出てくる「普通(中央値?)」であればいいのか、いやなら、どうやって「普通」を脱するか、ということを、とことん、自分の頭のなかで、考え抜いていくしかないと感じます。
「普通」からの脱出なのですから、定義上、孤独な作業、周囲の理解を得られにくい道となることは、間違いありません。私を含め、他人がやっていることは、それぞれのこと、あなたが追求するのは、あなたのライフスタイルです。
2017年を、このブログを読んでくださる皆さんが、良い年とされますよう!
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