こんにちは。2011年から中国に住んでいる対米不動産投資家中山道子です。なぜ、中国に?と聞かれますが、しばらく前から、the new world order (新しい世界秩序)は、望むと望まないとにかかわらず、米国中心というこれまでのパックス・アメリカーナではなく、今後は、米国と中国との相互関係を基調として展開していくのだろうなと感じるようになり、その流れを体感してみたくなったのです。
この数年で感じるのは、両国のラブラブ振り。政治では、お互い、譲れないところを持っており、頻繁に、対立しあったり、批判しあったりしていますが、それでも、その実の両国の交流ぶりの深化には、目を見張るものがあります。
たとえば、中国政府は、ここしばらく、中国人の中国語教師を、米国の公立学校に派遣するということを、主として自己負担でやっています。露骨なことに、ほかの国に対しては、これは、まったくやっていないことで、他方、米国側は、自国の語学教育の予算が捻出できないため、これを大変歓迎しており、結果、現在、中国語学習熱は、米国内で、大きく広がっています。
今は、昔のように、中国系移民が多いエリアだけではなく、ワシントンや、テキサスといったようなところでも、なんと、中国語イマージョン(通常、その言語だけを使って教える)の公立小学校が出てきている状況。資産のある教養層においては、親がまったく中国と関係なくても、中国人のオーペアさん(au pair、文化交流のために外国人を家庭に受け入れ、子供の面倒を見てもらうかわりに学校に行かせる)を雇い、家庭では、子供に、中国語だけを話させる、といった教育をしているような家庭も、出てきました。
また、米国側も、中国への留学生を増やすということで、クリントン元国務長官らが音頭を取って非営利団体を作って、盛んに寄付集めもしています。この財団なんかは、政財界要人の水面下・非公式交渉や、両国を行き来するための場、さらには、将来の人材をリクルートするためのプールとしても、大きな意味を持っていくのでしょう。
中国も、日本の高齢化を後追いするような形で、経済成長が鈍化する可能性があると指摘されており、また、米国も、国内外に大きな問題を抱えていますが、私からは、中国人と米国人というのは、そのフロンティア精神、起業家精神において、大変類似の考え方をする人たちに見えます。
もちろん、中国人は、家族や親戚単位、米国人は個人単位といった違いはあるのですが、、、
これら二つの超大国が、今後も、内外にトラブルを抱え、あるいは、引き起こす(?苦笑)なか、いわゆる英語のグローバルネットワークと、華人のグローバルネットワーク、そして、双方の交差点から、今後の世界のリーダーシップが、賛同できるにせよ、不服にせよ、立ち上がってくるのではないかと感じます。
この流れは、流れ自体が、勢いを持つのであって、目的地が決まっているわけではなく、米国だとか、中国だとか、果ては日本だとか、といった「どこ」には、やはり、それほどこだわらなくなるでしょう。米国の経済が悪ければ、中国へ、そして、中国都市部が下落すれば、アフリカへと、自然に、「必要に応じて」「その時ごとに」に、流れができるのです。こういうライフスタイルを追及する人と、したがらない人というのも、二分化されていくでしょうし、、、
そんな背景を受けて、実際、現在の中国でも、英語と中国語を同時並行で学ぶようなバイリンガル・プログラムが、多くの私立学校で提供されており、わが子も、そうした小学校で、学んでいます。
この前、俳優、トム・クルーズ/ケイティー・ホームズ元夫妻のお子さんが、ニューヨークで、学費4万ドルもする新設私立で、学んでいるという話を読みましたが、その学校の売りも、やはり、中国語イマージョン。ウエブサイトを見たら、その他の目玉は、「シンガポール式算数を教えること」で、わが子の学校と同じテキストを使っているのだろうなと、苦笑してしまいました。(ちなみに、当方の学費は、この5分の1です、、、これでも、私には、十分高く感じられますが)
つまり、アメリカの次世代教育オプションにも、今、シンガポールやマレーシア、中国などで、国際的華人コミュニティ向けに、提供されている教育モデルに相当類似したものが、志向されてきているということですね。
中国でも、シンガポールでも、マレーシアでも、ニューヨークでも、ヒューストンでも、似た教科書を使って、似た方式で育てられていく、そういうグループの子供たちが、確実に増えていくわけで、こうした子供たちは、多分、「自分の国のほかの育て方をされた子供たち」と一緒の将来ではなく、「よその都市で、似たように育てられた子供たち」と似たような未来を、作っていくのでしょう。
いいか悪いのかは、わかりませんが、私自身が、そうやって育ち、生きてきたために、自然、やはり、子供のためにも、同様の教育を(私のときは英語と日本語でしたが)、求めるようになったといったところなようです。
さて、例によって、まったく関係ない前置きが長くなりました。今回のテーマは、国際送金。