対米不動産投資家の中山道子です。
私がこのブログを始めた2007年と比べても、日本社会も、どんどん「国際化」が表面化してきました。20世紀にも、朝鮮籍の人の流入があったりで、別段、均質社会だったとは思わないのですが、最近の国際化は、植民地戦争ではなく、ビジネス由来。今後、こうした平和なやり取りがどんどん発展していってほしいですね。
そうした中、中国人の方々については、「マナーが悪い」と、対応する現場は悩まれていると見聞きしますが、欧米人は、「こっちこそ、日本の粗悪品、コピー品に悩まされた時期を経由して、日本人のバブリーな農協ツアーやブランド爆買い、ランドマーク的な不動産の買い付けにも付き合った。しかも、調子が悪くなった日本人が出て行った後の始末までした。歴史がめぐってるだけ。ビジネスはビジネスだよ。」と思っています。
私も、海外と日本を行き来しながら、成長したので、子供のとき、内外で、日本人のマナーが取りざたされて、我が日本が恥ずかしかったころのことを、体で覚えています。
十分さかのぼれば、どのお国、民族も、きっと、ご同様。中国が世界一をぶっちぎっていた時代には、日本は辺境、ヨーロッパも後進国でした。進歩、文化交流というのは、お互いこの繰り返しなのかなと、、、、
さて、そんなわけで、今日のテーマは、「これも、日本だけじゃなかったよ」。
実は、最近、WSJが、EXPAT(海外赴任族)というアングルで、ブログ形式で、新部門を発足させました。
WSJ EXPAT For Global Nomads Everywhere
というセクションで、これが、私なんかの立場(かっこよく言えば「グローバルノーマッド」)の人間には興味深い記事が目白押し。
今日読んだのは、「帰国した者の憂鬱」に関する記事。日本では、昔から、「帰国子女の適応にあたっての課題」として、広く知られてきたイシューです。
Repatriation Blues: Expats Struggle With the Dark Side of Coming Home
いわく、
「海外帰りの米国人ママ、”どうして子供のサッカークラブで、他の親御さんが電話をくれないのか、わからない。友達ができないんです。”」(ボストン郊外)
「パリでフランス語が流暢になったカナダ人の子供、学校では英語アクセントのフランス語しかしゃべろうとしなくなってしまった。目立つのがいやだったのだという。」
「海外育ちであることを先生に隠していた子供、米国の地理や貨幣の知識がないことを親子ともに責められる。”面倒がいやで言いたくなかったの”」(バージニア)
と、どのケースをとっても、おお。まるで日本!
しかも、カナダでは、フランス語は第二言語ではないですか? パリ仕込みのアクセントだと、アングロ・カナダでは、学校で浮くんですね??
これまで、「日本人の社会は閉鎖的なので、こういうことが起こるのだ。日本人よ、もっと国際化しなくては」とよく言われてきましたが、実は、「多様性あふれる社会のモデルだと思われてきた北米でも、起こっている問題」らしいですね。